目次
これは、ギャンブル嫌いの人間が如何にして人生にギャンブルを取り入れていくかを綴った短編放浪記であり、ギャンブル嫌いという特性の総論である。
◆若さは浪費と共に
1990年代を高校・大学時代を過ごした人間にはよくある特徴かもしれない。この頃の大学生(の一部)は洋服に気力の大半を注いでいた。男子のストリート系や女子のロリータ系、男女とものトラッド系パンク系黒ずくめ系さまざまなブランド、ファッションが個性的に街を彩っている時代だった。洋服は楽しく、ファッションは楽しい。心底湧き上がる感情だった。
アルバイト代もその気力に比例してファッションに費やす。時代として某デパートのカードが勢力を伸ばしている頃であった。それは買った洋服を分割払いできるという。当時の学生にはクレジットカードがさほど普及していない。このカードで若い利用者たちは後払いの妙味を知った。
これでは受験戦争といわれる戦いを超えてきていても、金銭面のIQというか分別に関しては劣等生というものである。だが、この分野に関しては劣等生でも構わない時勢でもあったと思う。バブルは崩壊しても、まだ円が強い時代で日本が強い、大学生が強い、希望的観測が強い時代だったのだ。その時代を過ごした人間は楽観的だった。その時代に某デパートのカードはうまくフィットし、個々人は負債と長い付き合いを構築していくようになる。
また、文系大学生にあった傾向だが、文学や哲学を嗜むのも作法であった。難解な作品や大作など、未読の場合もアウトラインは把握しておく。それが教養の一部であり、姿勢でもあった。
◆賭博なんて馬鹿みたい
基本的に私はギャンブルは嫌いだ。いや、興味はある。あるのだが、期待値が低いことを考えるといまいち触手は伸びない。ただ、一攫千金という響きにはそそられる。加えて、なんと言っても
「我はくだけた人間である、面白みのないお堅い人間ではない」
という証明になるのがギャンブルのいいところだ。俗で、人間味があり、不完全であることを隠さない人物・・・その方が人間として付き合いやすいと判断されるのではないか、とも思うのだ。我ながら打算的である。
そしてこの打算はファッションの一部である。洋服で外面を表現し、危険・リスク・無頼に対する考えを内面で表現する。
当時の私にとって、この内面に関しては文豪への憧憬と、ヨーロッパの退廃を憂いた文学への憧憬でもあった。
ただ、賭博に関してはパチンコやパチスロのような「対・機械」よりはスポーツベッティングの方が私の打算に合う。志向と嗜好の双方である。これは後述する。
競馬場とパチンコ・パチスロ店、その現場に出向く意味合いはちょっと違うように思う。パチンコの方が受動的であるし、ロマンの度合いを数値化すれば、競馬の方がロマン数値は高いように思う。まだギャンブルがアナログだった時代の話である。そして、インドア系の私には全く不向きの娯楽である。
大体、胴元がいる限り儲からないだろ?
大体、賭ける金があったら洋服を買うだろ?
そうは思っているのだが、ギャンブルへの憧憬は消えなかった。無頼として、文学を愛好し、ファッションを愛好し、己の偏愛する音楽を聴くこと。これらを自分の内部に欲しかった。これらを自分のバックグラウンドとしたかったのだ。打算であり、戦略でもあった。
◆パチンコ編
二〇世紀の末期、大学一年だった私はパチンコ屋でアルバイトをしていた。これには深い意味はない。ただパチンコ屋のアルバイトの時給が高額だったためだ。当時購読していた新聞は日曜日に近隣地域のアルバイト求人広告を多く入れており、その広告の中で目に留まり、群を抜いた時給の高さに惹かれてパチンコ屋の門をくぐったというわけであり、特段のドラマはない。
大学において新しい環境に慣れるのにはさほど時間はかからなかった。順応性がある方だし、一人で行動するのにも平気なタイプ、と自己分析する。入学当初のオリエンテーションから縁が広がり、大学では早速気の合う友人たちと付き合うようになった。必修科目以外は見様見真似で適当に選択科目や一般教養科目を取っていた。それ故、曜日ごとのスケジュールはガタガタだ。
そこで、このパチンコ屋でのアルバイトに関して、「授業が早く終わる平日二日を夜勤、土日を日勤でシフトを入れてもらおう」と、バイトとは思えない労働時間で働き始めたわけで、まあ稼ぎは良かった。給料という現金が入る面白さと勤勉な性格があって、欠勤はなしである。あまりにバイトを休まず真面目だったため、バイトのない日に友人と酒を飲みに行っては、「バイトなのに勤勉すぎじゃね?」と指摘されるほどであった。
他に本を読む(この頃はミステリ全盛期であった)、洋服を買いに行く、映画を見に行く、インディーズバンドのライブに行く、すべてアルバイトの時間外である(もちろん大学の授業時間外でもある)。
この頃の私は喫煙者であり、タバコは当時パーラメントという名称のものであった。パーラメントがなければマルボロでもセブンスター(すこしキツい)でもキャメル(味の系統がやや異なるように思う)でも何でも良い。ただメンソールはあまり吸わない。
あえて言っておくが、喫煙者であることは私の打算とは関係ない。単にタバコが好きだっただけだ。
アルバイトを始めたパチンコ屋はスタッフ総勢二〇名ほどだったが、大学生バイトは私を含め二人。あとは社員と専業のアルバイトで構成されていた。喫煙率はほぼ一〇〇%。大学生ということでパチンコ屋の他のスタッフからは当初色眼鏡で見られていたし、嫌みのようなことも言われた。だが、給料が入る楽しさの方が勝っていたので、無欠勤だったというわけである。
あと、この時代はタバコが社交ツールのような位置付けでもあった。今思うと、私が非喫煙者であったら、このパチンコ屋のアルバイトは務まらなかっただろうと推測する。これはパチンコ屋の客層の喫煙率が高いための、店内の空気がどうこうという話ではない。スタッフ間の人間関係において「俗っぽさ」が非常に重要だったからである。
これは九月にスタートした話。それから翌年三月末までパチンコ屋のバイトは続けた。大学二年となると授業のスケジュール的に、今までのシフトではバイトができなくなったためである。
ということで、大学二年は別のアルバイトを始めた。比較的堅気の飲食店のアルバイトである。
と、ここでパチンコ屋の思い出は終わっている。当時のパチンコ屋で働く人間としては珍しいタイプだったようだが、私はパチンコは全くしない。パチンコ屋でアルバイトはしたが、普段はパチンコ屋に足を踏み入れることはない。そう、全くパチンコには興味がないのだ。パチスロも同等である。全く興味がない。便宜上、ここではパチンコ・パチスロを併せて「パチンコ」と表記しておく。
パチンコ屋は働くところであって遊ぶところではない。これは当時も今も変わりがない私の考えだ。なので、このパチンコ屋でのアルバイトを始める前は当然(年齢的にも)パチンコはやったことがなく、辞めた後もパチンコはやっていない。
そうそう、アルバイトをしている時に同僚から「パチンコやってこ。五〇〇円でいいからさ」と誘われて他店に行ったことはある。当時は現金機があったのでそれである。五〇〇円ならまあいいか、そう思って付き合った。五〇〇円である。あっという間である。それっきり追加投入することなく、隣の台に座る同僚を見ていた。同僚は二〇〇〇円入れていて、やはり当たらなかった上に私のノリが悪いこともあって、そこで打ち止めとなった。二人で店の前の自動販売機でコーヒーを飲み、雑談をして帰った。
これが私の記憶にあるパチンコ遊技の貴重な一コマである。続きはない。
◆生命保険編
さて、そんな人間も通常通り大学を卒業し、公的機関の外郭団体へ就職をし、新たに銀行に口座を作り、給料が振り込まれ、そこから生活費を賄い、娯楽費を賄った。試行錯誤の末、費目に対する大体の目安は、年末調整の時期に同僚といろいろ話して参考にして決めた。娯楽費は何に使っているか、ファッションの費用はどうしているか、保険は何に入っていると良いのか、等々である。主に車のメンテナンス費用、アーティストのライブ、ファッションは思い立ったが吉日、保険は入院したときと死んだときにお金が入ればいいんじゃね?ということで、安めの医療保険に終身特約をプラスした。だいたい同僚も同じような保険内容だった。
貯金の割合は人それぞれ。実家通いは実家への上納金を納め、一人暮らしは家賃と水道光熱費等の必要経費が引き落とされる。そこから車関連費や娯楽費、保険料が引かれ、貯蓄となる(残金があれば、の話である)。たまに先取り貯金を実行できている猛者もいる。だいたい積立定期預金や財形貯蓄を組んでいる者である。
個人財務に関しては、あとは銀行窓口に進められるままに、さまざまなサービスを利用した。定期預金積立、クレジットカード作成、当座貸越であった。
社会人となり、読む本も実用書寄りになっていった。業界誌を始め、IT系資格取得のための書籍、マネジメント書、自己啓発書等々である。文学書ばかり読んでいた自分にとっては、これはこれで面白く、多くの本を買い、読み続けていた。
◆浪費家ではなく、ギャンブラーになりたい私
社会人になったことで小粒にはなったが、相変わらずファッションの浪費家であった。しかし、仕事で着るファッションは大体決まっている。私服を買う分がコストパフォーマンス上数値は良くない。
本は実用書が多いのだが、仕事の成果に結びつくという名目があるので躊躇なく買った。文学は有名賞の受賞作を読む程度、というのが社会人となってからのレベルである。
そして相変わらずギャンブルには一向に関心が向かなかった。しかし、これは私の「あるべき姿、理想の姿」とは違う。ファッション愛好家であるのは「理想の自分」になるための手段ではあるが、これだけでは足りない。これではただの浪費家なだけである。これでは精神というか生き様がファッショナブルではない。学生時代からの考えにさほど変化はないのだが、このあたりでよりはっきりと自覚してくる。私はスノッブというかサブカルな風味を求めていた。その風味は何を持って加わるかというと「文学」「音楽」といった文化面の他、無頼としての「ギャンブル」が必要である、と。
これは自分の美学である、と。
その後のインターネット普及、そのまたその後のスマートフォン普及がギャンブルを身近に寄せてきた。これはチャンス、と思った。このときの浪費の末の一五万円(来月のクレジットカード引き落とし分)をギャンブルで返そうと思った訳ではない。それとこれとは別問題なのだ。こんなものは分割払いで返す。己の人生の美学としてギャンブルが必要だったのだ。
◆FX編
ここでは少し「それ以外」のことを語る。我は独身かつ健康である。親は年齢相応に老けたが、まだ介護するほどでもない。もちろん細かいことでたびたび頭を悩ませることはあったが、危機的状況はなく過ごせた。本当に良かった。
本は電子書籍が出版されるようになってきて、読書量が増えた。だが、出版物のレベルがどうも下がったような気がする。というか、自分のセレクトする本の難易度が下がってきたような気がしてもいた。読書の記録を冊数で記録する弊害であったと思う。
また、この頃は相変わらずの無頼への憧れと欧州の退廃的な文学への憧れから、「無用者」系の文学を読んでみたりしていた時期である。
さて、自分である。
自分は比較的順応性がある方だと思う。そしてお金が入ると嬉しい人間である。
ポイ活を始めた。
いわゆるポイ活がメジャーになってきた時代であった。その時代の半ば、スマホの所有率も上がってきていた。そして、ポイ活からの旅は数奇であった。
二一世紀に入り、二一世紀であることに世間が慣れてきた頃、ネット上では「サイトに記載しているミッションをクリアし、ポイントを貯めて節約しよう」というポイント活動ムーブメントが発生した。このミッションとは、クリックして所定のサイト閲覧というかわいいものから、
・通信会社の通信サービスを契約すると○○ポイント還元
・証券会社で証券口座を開くと○○ポイント還元
・サラ金会社で契約すると○○ポイント還元
・ゲーム会社のゲームで遊ぶと○○ポイント還元
・・・等々、百花繚乱であった。有用なサービス紹介も一部はある。だが、なんというか堅苦しさとは対極の分野のお誘いが多い。その中でもひときわ輝いていたのが
「FX会社で口座開設後に△円入金し取引すると、入金額同等の△円分ポイント還元!」
というものであった。この△円は大体五万円程度とするところが多かったように思う。当時からFXはハイリスクであると謳われていた。FXで身を滅ぼしたという経験談もネットには転がっていた。よし、と私は思った。私は五万円をこの(これらの)サービスに投資した。
まず、D証券のFX口座へ五万円。確かニュージーランドドル(NZD)/日本円(JPY)で取引を開始したと思う。やり方は簡単である。国際情勢や為替など知らなくても取引はできるし、知識の多寡は勝率に余り関係ないようだ。つまり、ギャンブルである。ここで私は何度が取引をし、勝ったり負けたりしながらも、ポイ活サイトからポイント還元を確認できた時点でD証券から撤退した。初期投資額はポイント還元で清算されたので、五〇〇〇円程度のプラスであった。
その後、このパターンを少なくても四回は繰り返したと思う。初期投資額はすべてポイント還元で清算し、負けが込むほどはやらない。当然である。ギャンブルとはいえ、損するのは不本意だ。お金を儲けるためにやっているのである。
本来の小心者の特性が出て、私のFX取引はいわゆる「コツコツドカン」であった。たまに飛ぶ共産圏隣国からのミサイル発射で偶然大きく利確できたことはあったが、毎月の損益をみると投資額の一割損、くらいの案配であった。しかもこれはFXを続けた二年程度、ずっとこの調子であった。というのは、損切りが続いたときは心理的に面白くないのでFXから離れるためでもある。
結局、FXは暇さえあれば相場を見てしまい、決済してもすぐポジションを取ってしまう癖がついた。他のことが疎かになっている自覚が出てきたため、私はFXから撤退していった。ギャンブルは勝てなければつまらないのだ。FXは他のことを疎かにするほど夢中にはなれなかった。ローソク足を眺めて一喜一憂するのはまあまあの刺激はあるが、負ければつまらないし、ストレスもかかる。何より、ついスマホで相場を見てしまうのいうのは悪癖である。いや、ギャンブルを嗜みたいし夢中になりたいが、これは夢中というかただの悪癖であり、見目も麗しくない。スノッブではない。ファッショナブルではないし、満足度が低いのだった。
結局この「ポイ活+FX口座開設+FX取引」の費目ではマイナス一万円で終わった。終わったというのは、このジャンルから完全に私が撤退したからである。総括した。FXは時間が取られるのだな、と知った。相場に張り付きたくなるし、ポジションを決済した後は、すぐまたポジションを持ちたくなる。ポジションをもっていないと退屈というか刺激がなくなるのだな、と思った。これがギャンブルにハマる種なのかな、とも思った。面白いかもしれない、だが、お金が減るとか時間が浪費するというのは論外である。私は無頼でいたいのだ。俗な、スノッブとして生きたいのだ。お金も時間もマイナスになるようでは損である。
ビジネスの上では「損して得取れ」という格言の通り、損も後日の果実になる場合もあるし、損の経験がビジネス上の知恵として役に立つ。だがこれはただの「損」であった。なるほど、これは「損」であった。この損は友人知人へ話して会話に花が咲くということもないだろう。これが競馬やサッカーくじのようなものなら話は別のような気もする。競馬もサッカーもファンは多いし、結果が国営放送のニュースにもなることが多いので、大衆的だ。ちょっとの負けくらいは「この人は真面目一遍の堅苦しい人間ではなく、俗っぽさのある愛すべき人間である」という評価を得られる。
こうして私のFXの挑戦は静かに幕を下ろした。
◆競輪編
親族に迷惑を掛けず、小遣い内で支払える費用は娯楽費やリスクとして心の中で計上するが、ギャンブルは好まない。損得、特に金銭面での損得が出る娯楽は好まないが、ギャンブルに対するアンチではない。個々人の自由である。ただ、依存症といわれる病態もあるのならば、何らかの規制も必要かもしれない。だが、個々人の自由でもあろうし、競馬・競輪等の公営競技は胴元が国でもあるし、国家の収益と国民のガス抜き的な、曖昧かつ重要な側面もあるとは思う。
そう、こう思っているのだ。
だが、相変わらず興味はないのに、無頼を気取る私にはギャンブルが必要であった。
新興だが大手のIT企業がネットで投票できるサイトを構築し、ユーザー確保のためのサービスを提供し始めた。これはポイ活サイトの広告で知ったように思う。
ここで初めて競輪を経験することになる。
そう、ギャンブルを求めていたくせに、公営競技は競馬を二年に一回、重賞レースに1000円賭けて周囲との社交を図るくらいしかしてこなかったのだ。チャンス、と思った。競馬は正直、全然面白いとは思っていなかった。何が面白いのか全然理解できずにいたのだ。だが、競輪は人間が戦うスポーツだ。自分の好みと合うはずだ。そう希望を抱き、私は競輪アプリに登録した。
私はアスリートに並々ならぬ尊敬の念を抱いている。己の才能を極限まで磨くべく日々の鍛錬、精神の修養、コントロールできるのものはすべてコントロールしようとする姿、勝負に臨む姿を尊敬せずにはいられない。スポーツは素晴らしい。
さて、この競輪サイトはユーザー獲得のためか、運営側のサービスは大盤振る舞いであった。現金を使わずとも、サイト内で使えるポイントで競輪に賭けることができた。そして、当たれば現金化できた。なので、まずはポイントを貯めるためにアプリ内のゲームやらミッションやらをこなした。これは毎日欠かさずやった。勤勉なので毎日の習慣となった。そうすれば現金を使わずとも競輪ができ、きっと競輪の魅力に気づき、ハマり、趣味として競輪というギャンブルを嗜むことができるようになる、と。人間同士が競うスポーツとしての面もあり、アスリートに並々ならぬ敬意を持つ私としては、きっと競輪に夢中になるはずである。
さて、このサービスでは貯めたポイントで競輪をするのだが、何せ現金ではないので貯めたポイントだけでは大きく賭けることはできない(私の性格的にできないだけかもしれない)。なので、勝率の高いワイドや三連複に賭け、確実に現金を貯めるようにしていった。賭けで勝った現金はアプリのウォレットにそのまま貯めておいた。競輪が楽しかったわけではなく、「ポイントを貯めて賭け、それを現金化していく」という行為が楽しかった。これは今更ながら驚くのだが、この手法で6万円強現金を手に入れることができた。しかも、この間はこの手法の実行に忙しかったこともあり、ファッションに浪費している暇はなかったので私のバランスシート的には一石二鳥でもあった。このお金はノートパソコンを買う費用の一部に充てた。大満足だった。
しかし、相変わらずギャンブルは自分の人生に寄り添うことがなかった。
あれ、私はギャンブルをしているのか?
もう一度振り返ってみよう。
競輪は人間が戦っている。レースを見るようになると応援したい選手が何人か出てくるのは当然である。応援しているのだから、その選手の勝利に賭ける。外れる。賭ける。外れる。賭ける。当たる。
・・・つまり、私はレース展開や勝負を予想していないのだ。応援したい選手に賭けるのは競輪というギャンブルでは通用しないのだ。しばらく経ってから理解した。なるほど、私の賭け方は駄目なのだ、と。
ここで私は「勝つ」ために、サイトに載っているレース予想と選手のデータだけで賭けるようにした。レースは見ない。データだけで勝敗を予想し、ワイドや三連複という低リスクの賭け方をする。この軍資金でさえ無料のポイントである。勝った分は現金になっているが、これを次のレースに使うことはしない。そのままそのサイトのウォレットに貯めておく。そして出金しているだけなのだ。
競輪サイトはある程度ユーザーを獲得できたのか、それとも当初の予算を使い切ったのか、前ほどのポイント大判振る舞いがなくなってきたため、私はそのサイトを離れた。そう、競輪にも結局ハマれずに終わったのだ。
競馬もつまらない、競輪もつまらない、これでは公営競技仲間の競艇やオートレースもつまらないであろう。
しかも、FXと競輪アプリに取り組んだせいか、ファッションにも浪費しなくなってしまった。無頼活動に時間を取られたためである。いや、無駄遣いが減った、これはいいことである。だが、自分が空っぽになったような空疎な気分であった。
浪費によるクレジットカードの支払い(変動費)も微々たるものとなった。
ファッションを失い、ギャンブルを嗜むこともできずに無頼になれない。文学しか残っていないような、そんな心許ない低空飛行時代でもあった。
◆麻雀編
麻雀は遊ぶものではなくお金を稼ぐもの。これはギャンブルとして賭け麻雀を嗜んだ末の発言ではなく、私は雀荘でのアルバイトを経験したことがあるからの発言である。パチンコ屋のバイトから二年後のことである。時給もよいことから雀荘で働くことにしてみたのだ。
大学一年の時にパチンコ屋でアルバイトしたときは、まだギャンブルに関して自分の指向を把握していなかったが、大学三年時は自分で少々の自覚があった。「私はギャンブルに向いていない」人間である、と。
正直言って、麻雀にはゲームとして以上の興味は沸かなかったが、雀荘という空気は性に合っていた。反社会的勢力の人も受け入れるスタンスの店だったため、普通の学生や一般的な日本人は来店しない。来るのは麻雀好きの反社会的勢力、そしてそういう輩を全く気にしない場末感を好む日本人、そして中国人であった。正直言って何の仕事をしているのか分からないお客が八割。残りの二割はどうなんだというと、雀荘のテーブル予約の電話で「AB会社のk藤です~」と自ら名乗るお客である。こういうお客は手間がかからない。店で反社会的勢力が多少大声を出して舎弟を叱り飛ばしても気にしたりはしない。
そんな客層のお店と言うこともあって警察も定期的に巡回する(この雀荘は繁華街の駅前雑居ビル内である)。
店のママは気丈である。入れ墨の見える反社会的勢力幹部男性に「ちょっと!腕の入れ墨見えるから長袖着てきて!」と注意進言する。
こういう面が顧客に安心感を与えていたのかもしれない。少なくても従業員である私にはそう感じていた。・・・
その後一五年ほどを経てスマホアプリで麻雀をやってみるようになった。麻雀アプリを経由し、いずれ雀荘でお客として麻雀を嗜むようになりたいと思ったのだ。私はまだ諦めていない。無頼への戦略である。しかし、遊んでみたものの、単に役を覚えただけですぐ止めてしまった。つまり、ネットでの麻雀にはハマりきれなかったのだ。麻雀はスマホでやるものではなく、対面でやってこその面白さである。だが、そこまでたどり着くことができなかったのだ。
それにしても、このゲームに金を賭けるという流れを持ってきたのはどういうことなのか。麻雀は面白いし、徹夜で麻雀なんて話はザラにある。私も雀荘でアルバイトをしていた頃のシフトは出勤一七時退勤二三時で、翌日一七時に出勤したらまだ昨夜のグループが麻雀していたなんて風景はよく見かけたものだ。
お金を賭けることで、何か勝ち負けのある試合もしくは競争の面白さにブーストを掛ける。このことはもちろん想像できるのだが、私にはどうも身につかない。
ここで分かってきたことがある。
スマートフォンは文学の時間を奪っていった。そもそも文学愛好者は「活字中毒」でもある。動画サイトや映像作品ではこの熱は解熱できないのだ。しかし、スマホは活字を垂れ流してきた。文字ベースのSNSは文学愛好者にとって毒でしかない。文学を失っていることに薄々気づきながらも、手軽でそこそこ知的な刺激がたまには流れてくる。この沼に足を取られている気がしている。だが、仕事とプライベートと無頼への憧れ、これ以外の時間は微々たるものしか残されていない。
◆個別株編
大人たる者、相場に入ってしかるべし。
そう考えて、某アミューズメント系企業の株式を買った。比較的業績のアップダウンの少ない企業であったため、損益はたいした変化はなかったが、これは良かった。株式に投資しているお金は気軽に使えないので、浪費ができなかったのだ。現金化するまでにいくつかのステップがあるためだ。生来のめんどくさがりが功を奏して、この株式購入費だけは霧散することなく、私のバランスシートの資産欄に記載できた。
が、これも実家への上納金が必要になった際に株を売却したので、それっきりとなった。
個別株はギャンブルではなく投資という位置付けかもしれないが、その線引きはまだ自分の中で明確なものではなかった。
◆つみたてNISA編
日本国がいよいよ年金問題を隠さなくなってきたこともあり、個々人で老後の資金を貯めておけよ、という至極当然のことを大々的に言うようになってきて、NISAが誕生した。
我が家でも老後への備えや、子供たちに迷惑を掛けないようにと、新たな保険を契約した。
私はNISAに乗った。投資、広義ではこれもギャンブルに該当するであろう。これは国が支援するギャンブルなのだ、と。我ながら歪んだ考えである。
この頃は少額になってきてはいたが、浪費からのクレジットカード支払いがあるため、私の小遣いにさほどの余裕はない。分割払いの残額があったりするのだ。まずは一〇〇〇〇円を毎月積み立てていこう、と思った。選んだファンドは先進国インデックス。まだオールカントリーが幅を効かせる前の決断だ。後日、ファンドは先進国インデックスの他にオールカントリーも追加し、入金額を増やすようになった。
前述したが、浪費によるクレジットカード支払いがあったため、NISAへの入金は少額からのスタートだった。それまでは浪費に関する支払いだけで精一杯だったのが、少額でもNISAにお金を入金できたのは心理的にワンランク上がったような、何かの真理を手に入れたような気分になった。分割払い分の残額も徐々に減り始めた分をNISAにつぎ込むようにしていった。
しかも、このつみたてNISAはクレジットカードで積み立てることができたので、カードのポイントも貯まり一石二鳥であった。浪費ではなく、投資に支払うことができるようになったのは本当に自分を底上げされたように感じた。
NISAの金額をチェックするのも日々の楽しみとなり、また少しずつ積立額を増やしていった。
◆(聞こえるか聞こえないか位の声で)オンラインカジノ編
競輪サイトを毎日見ていたせいか、ネットを徘徊すればオンラインカジノの広告に当たる。そんな時期だった。
ギャンブルを嗜みたい私ではあったが、さすがにカジノは馬鹿馬鹿しく思っていた。しかもオンライン。控除率が低いとはいえ、仕組み的に公営競技より勝率はマイナスとしか思えなかった。バカラやルーレットなどオールオアナッシングの勝負だし、スロットなんて胴元がズルしまくりじゃん。そんなことを思っていた。
だが、オンカジ黎明期であったことから、入金ボーナスが派手に告知されていたこともあり、まずは食わず嫌いせずに一つ経験してみることにした。
まずはバカラ。オンラインカジノでは一番人気があるようだ。そこで、バカラの必勝法などという、あり得ないものを検索し始めた。当然だが、ネットでは適当な与太話しかなく、酷いものだと「バカラ投資法で生活を豊かに」などという、サイトの写真に高齢者夫婦とおぼしき人物をのせた外道まで見かける始末だった。
さて、それでもバカラ必勝法を探し始め、モンテカルロ法や31法などを試しながらバカラにチャレンジした。結果は微勝ち。なぜなら勝ち逃げするからだ。こんなものは当然だ。
そして、スロット。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、スロットはバカラやルーレット、シックボーのようなテーブルゲームより入金ボーナスの条件が緩いのだ。つまり、スロットはそれだけ胴元にとって儲けの種なのだろう。そう思いながらスロットに挑戦した。日本の美少女アニメを彷彿とさせるデザインと世界観のもの。実は初回からこれで大儲けした。私は大当たりしたら躊躇なく止める人間だ。いつもならそこで止めるのだが、入金ボーナスの関係上、まだゲームを続行する必要があり仕方なく継続したら小勝ちが何回か続き、このときは結局六万円ほど儲かったのだ。
これに味を占めてスロットをするようになった。貧乏性が功を奏して、用意した予算で負ければすぐ撤退した。勝った場合はすぐ出金した。ここで二〇万円ほど貯まった。
その後、グレーゾーンと言われたオンラインカジノは明らかにブラック扱いとなり、私もここを去った。二〇万円を持って。
◆暗号資産編
オンラインカジノの入金は主に現金の銀行振り込みだったのだが、仮想通貨での入金は手数料なし、そんな文言をよく目にするようになった。
そこで、オンカジ入金用に仮想通貨を試しに買ってみるか、と思ったのが暗号資産のスタートである。
BTC(ビットコイン)やETH(イーサリアム)くらいは知っていたが、XRP(リップル)、ATOM(コスモス)、DOGE(ドージ)などいわゆるアルトコインは全然知らなかった。ここで、少額でも購入できたのでDOGEを利用し始めた。
こうしてDOGEをオンラインカジノで入金して遊ぶようになった。だが、結局オンラインカジノは止めてしまったので、DOGEで出金した暗号資産は販売所のウォレットに貯まったままだった。
オンラインカジノでは現金を銀行から入金したものは、出金も現金で銀行に振り込まれるからすぐ現金が使える。だが暗号資産はどこかの段階で日本円にするために売却しなくてはならない。
暗号資産を動かすことに躊躇していた。このころは暗号資産に関する納税がどうなるのか、一説には利益の五〇%は納税、とかいわれていたので、どうすべきか迷っていたのだ。
まあこんなことで、仕組み云々分からないまま暗号資産の保有者となっていった。言わずもがな、暗号資産の相場は荒れ模様である。しばらくして「これはこれでギャンブル風味あるな・・・」とこちらへも少額だが金をつぎ込むようになっていった。
当初は馴染みのDOGEを買い溜めていった。そもそも一DOGEが安いので、ちょっとの小銭でもDOGEを買うことができる。DOGEは貯まっていく。そして米のIT長者の推しもあり、DOGEは一時期、実力に見合わない(ように思える)金額をつけた。私のDOGE資産もウハウハだ。とはいっても数万円レベルなのだが。
さすがにこれだけというのは心許ない。ETH、SOL(ソラナ)、ADA(カルダノ)も定期的に買うようになり、結局毎月積み立てることにした。しかもこの三種の暗号資産はステーキングと呼ばれる配当があるので、それを再投資できる仕組みがあるのだ。もうドルコスト平均法である。暗号資産というハイリスク資産であるにも関わらず、ドルコスト平均法で落ち着いてしまっているのだ。ギャンブル風味はうっすら靄の中である。
◆・・・
結局私の人生にはギャンブルは根付かなかった。ドラマになるような要素はなく、単なる浪費家が吝嗇家になっただけの話なのだ。ただの堅物、ただの凡人、己に無頼を探し出せないのだ。続いているのはNISAと暗号資産を毎月定額積立するドルコスト平均法。そして保険だけなのだ。医療保険、がん保険、終身保険、定期死亡保険、変額保険。これらはファイリングされ、もしもの際には家族がすぐ保険申請できるようにしている。あとは変額個人年金に入ればいいだろう。国の把握がない民間にある程度の資産を貯めておきたい。
保険とギャンブルは同じ仕組み、とはよく聞くが、保険は私によく馴染むようである。
◆この人生において再読回数の多かった本は何であるか
スマイルズ著『自助論』、これ一択である。

